言葉・・・

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ここ数日Freddieの身の回りで起こったことからふとこのメモを思い出し今一度投げかけたものです。もともとは東日本大震災を受けてFreddieなりに何かできることはないかと考えて描いたメモでした。しかし日本全体の不幸をもとに描いたメモをシアターに投稿し評価を得るのに抵抗を感じ、フォトライフ限定公開という形をとったという経緯もあります。Freddieの力では被災地に直接的な支援はできなく、それでも何かできることはないかと考え「がんばれ」という言葉をかけたいと思い描きました。この「がんばれ」という言葉はFreddieだけではなく世界中が投げかけたい言葉という意味を込めて地球をこのメモに描きました。

 

メモに関する小話はこのくらいにして今回のブログの本題に入ります。中には「がんばれ」という言葉を否定的に捉える人もいることを私は認識しています。それは「がんばっている人に対して『がんばれ』という言葉をかけるのはその人の頑張りを否定しているのではないか?」というのがその否定的な意見だとよく見ます。私は決してそんなことはないと考えてます。そう感じるの正直受け手次第で「がんばれ」という言葉自体を否定的に捉える理由にはならないと思うからです。決してマイナス的な意味が含まれていない言葉を忌み嫌い使用しないのは自ら相手に伝える手段を狭めている気がするんですよね。それって何か悲しいことのように私は感じます。

ただ、自分が良かれと思って伝えた言葉、行為もその受け手次第ですべてマイナスに変わることも私は実際に見ました。今日、ある人はとても大きな愛情を持ってたくさんの言葉かけを行っていました。しかし受け手たちにとってはすべてマイナスに捉えられていたようでそれを知ったある人は涙を流しました。それを見て私もとても悲しくなり、泣きそうになりました。人は自分の無力さを実感したときに大きな悲しみを感じるものだ。私もその人たちに対したくさんの言葉をかけました。自分としては彼らをほめるつもりで投げかけた言葉を数名はすぐにマイナスに変えてしまったのです。その時私はとてもやるせない感情を覚えました。こちら側から良かれと思って伝えた言葉でさえ結局すべて受け手次第になってしまう。こちらがどれだけのことを考え、悩みに悩んだ行為でさえもすべて無にされてしまう。そういうことをされてはもうどうしようもないというのが今の私の思いではあります。それでも何かできることはないかと奮闘しているところではあります。

当然プラスに捉えてくれる方々がいることをFreddieは決して見逃してはいません。普段のツイッターでの活動にはなりますが、あまりにも不定期なイラスト投稿にいいねをつけてくださる方々、プラべ杯のお誘いに快く参加してくださったり呼びかけにも応じてくださる方々、さらにその経験があってよかったという意見も散見されて本当にうれしく思います。そういった受け手から返ってきたものも無駄にしたくないと常々考えています。まだまだ至らないところはたくさんある私ですが、日々精進していきたいと思ってます。

今回はとても悲しい出来事から自分なりの意見を書かせていただきました。Freddieの良かれと思った行為にすべて賛同してほしいとは決して思っていません。ただ、受け止めてほしいです。受け止めたうえで自分はどうなのかということを感じてほしいです。きっと説教じみた記事に嫌気を刺した方もいることでしょう。個人ブログという場だからこそ自分の思ったことを連ねてみました。

次回のブログ記事予告ということでこの場でのお知らせにはなってしまいますが、1月31日を持ちまして、Freddieのうごメモデビュー及び「Freddie」という名前で活動を始めて10周年となります。10周年を迎えての感謝と思い、今後頑張りたいことなどを書く予定でいます。そんなことを告知したところで今回のブログを閉じたいと思います。ご精読ありがとうございました。